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メンタル強化・幸福度UP

なぜ気楽に生きられないのか?気楽に生きるコツと心構え心の持ち方について

2020年11月13日

live-comfortably
困った人

なんか人生に疲れた。。

もっと気楽に生きることってできないのかな?。。

今回は、こんな悩みにお答えします。

 

こんにちは、心理カウンセラーのJunです。

ここ十数年で変化に適応するストレスは、かなり増加しました。

しかも、コロナウイルスが全国に蔓延しだしてから、さらにストレスが増えています。

 

今回は、人生に疲れたと感じている人が、気楽に生きるコツ、心構えについてお話します。

なぜ気楽に生きられないのか?

気楽に生きられないのは、大きく2つの原因があります。

 

  • 原因①:環境のせい
  • 原因②:自分の考え方

 

1つずつ説明します。

 

原因①:環境

私たちを取り囲む環境は、ここ十数年でかなり変化しました。

インターネットによるデジタル革命の衝撃、さらにスマホ普及によって必要以上に情報があふれ、生活のペースは加速し続けています。
年中無休で24時間営業のライフスタイルも定着し、どんどん便利な世の中になる一方で、私たちストレスは比例して増えています。

もっと稼がないと・・
もっと働かないと・・
もっとおしゃれしないと・・
もっとSNSを更新しないと・・
もっと美味しいものが食べたい・・

次から次へと魅力的なモノやサービスが出てきて、私たちの欲望はおさまることを知りません。
やることが多いのでいつも忙しく、時間がいくらあっても足りません。

 

そうやって、必死に変化に適応しようとした結果、自分をおきざりにして、気づけばストレス過多になっています。
ひどい場合にはうつなどのメンタル疾患におよんでしまうこともあります。

 

さらに、いまの情報化社会はまだ始まりにすぎません。
今後、5G、AIなどでさらに生活のペースは加速していきます。

1つは、こうしたストレスがたまりやすい環境に原因があります。

 

原因②:自分の考え方

上記のような環境は、全員同じですが、中には気楽に生きている人もいるし、ストレスにさいなまれている人もいます。

この2つの違いは、「出来事を解釈の仕方」、つまり考え方のくせにあります。

 

気楽に生きられない考え方のくせは次のようものがあります。

  • 他人の目を気にしすぎている
  • 完璧主義
  • すべき思考
  • 我慢しすぎる
  • 目標が高すぎる

 

1つずつ説明します。

 

他人の目を気にしすぎている

これは一番大きい原因です。
ほとんどの人は「他人が本当の私を知ってしまったら、私を嫌いになるだろう」と心配し、本当の自分を見透かされることを恐れて生きています。
本当の自分をさらけ出したときに傷つかないように、仮面をかぶっていきています。
他人からの承認や賞賛、友情や愛情などを得たいがため、そのための役割を演技し、本当の自分を100%見せないようにしています。
そして、そこに膨大なエネルギーを使っています。それが気疲れを起こしてしまう大きな原因です。

▼対処法
他人の目を気にしてしまう一番の要因は、「自分が不十分な人間だ」と考えていることにあります。
自分で自分の価値を認めていないと、それを他人の承認や賞賛、友情や愛情を得ることで、自分には価値があると実感しようとします。
つまり、自分の評価を他人に任せてしまっている、これなら当然他人が自分をどう見ているかが気にならずにはいられません。
しかし、自分で自分にOKをだせたら、「自分は不十分な人間だけど、それでもいいか」と思えれば他人からの評価は必要とせず、他人の目も気にならなくなります。
ポイントは、「自分は価値がある!」といいきかせるのではなく、「人間だれしも失敗するしミスはある不十分な存在だけどそれでもいい」と考えることです。

 

完璧主義

取るにたらない小さなミスでもダメだと考え完璧しか認めない考え方です。
例えば、テストの点数が80点なのに100点でないと良しとしない。売上目標に数万円達しなかった、数件達しなかったから未達成、失敗と考えたり、努力したおかげで結果がでてるにもかかわらず高い基準を設けて失敗だと考えてしまいます。

世の中に「完璧」というものはありません。
完璧にきれいに部屋の掃除をしたとして、1mmもほこりがないかというと、ほこりは空中に漂っているものなので必ずあります。
そのように完璧というものはないのです。
完璧を求める人は、永久に達成できない自分をダメな人間だと結論付ける以外に道はありません。
自分をダメと思うと憂うつにならざつを得ません。

▼対処法
まず自分が完璧を求めていることに気づくことです。
完璧主義の人は、いつも完璧を求めることが”くせ”になっています。
そして人は、自分のことを客観視するのが苦手です。
立ち止まって自分が完璧を目指していることに気づいてください。
そして、「完璧を目指した結果、いいことがあっただろうか?」と自問してみてください。
もちろん完璧さを目指した方がいい場合もあります。けど、問題は結果がいたらなくてもOKといえることです。

 

すべき思考

何でもかんでも「~すべき、~しなければならない」と考えてしまうことです。
厳格な人やまじめな人ほどすべき思考に陥りやすく、不必要なプレッシャーで自分を追い詰めてしまいます。
すべき思考の一番の問題は、その考え方を他人に向けた場合です。
他人に自分の「~すべき」という思考をあてはめると、ほとんどの場合で思い通りの結果にならずフレストレーションがたまるだけです。
「女は料理をすべき」「男はお金を払うべき」「子どもは外で遊ぶべき」「外ではマスクをすべき」など、この思考にとらわれている限り、思い通りにならないことだらけになってしまいます。

▼対処法
自分の中のすべき思考をみつけたら、それに反論してみてください。
例えば「女は料理をすべき」と考えていた場合、反論すると「男が料理をしてもいい」という意見がでてきます。
このように反論していくことで、こりかたまった思考はうすれていきます。

 

我慢しすぎ

忍耐を美徳としている日本文化において、我慢しるぎる人が多いです。
疲れていてもまだ我慢できるからと無理して働いたり。
喉が渇いても飲んでもいけないルールだからと我慢して熱中症になったり。
それは自分の価値観にそった目標を達成するのに必要なタスクをこなす場合など、時には我慢が必要な場合もあります。
しかし、それは価値観にそった目標を達成するというモチベーションがあるから、がんばれるのであって、いやいやしていることなどは我慢して得られるメリットよりデメリットの方が大きいです。
また我慢はストレスにつながり、我慢しすぎることで心だけでなく体の不調にもつながるので注意が必要です。

▼対処法
我慢しすぎている場合の問題点は、自分が我慢しすぎていることに気づかないことです。
人は自分を客観視するのが苦手です。
体のだるく、辛いと感じていても、脳が「まだいける」と反発してきて、辛いと感じつつもつい我慢してしまいます。
「辛い」と体が感じている声を拾い上げて、気づくこと、そしてそのSOSをきちん対応することが大切です。

 

目標が高すぎる

「目標は大きい方がいい」という話がありますが、ほとんどの場合、目標が高すぎると途中で心がくじけてしまいます。
その先には諦め癖がつき、自分はダメだ、人より劣っているといった考え方に陥ったり、人生に満足が見いだせず生きづらさを感じることになります。

▼対処法
アメリカの心理学者バラス・スキナーによって提唱された「スモールステップの原理」が有効です。
スモールステップの原理とは、目標を実行がしやすい単位まで小さく設定することです。
例えば、ダイエットのためジョギングをしようと目標を立てたとします。
ジョギングするには、シューズやウェアを買う必要があるので、まずはシューズを買う。
それもシューズを買うにあたってネットで事前に調べる必要がある。
そこでまずはスマホでネットを開き「ジョギングシューズ」とだけを入力するのを1日目の目標とする。
少し極端ですが、とにかく細かくすることで少しでも実行できるようにしていくことです。
どんなに小さな実行でも積み重なれば大きくなります。

 

気楽に生きることは意外と難しい

気楽に生きることが難しい?

一見、矛盾したように見えますが、単純に「気楽に生きよう!」と考えれば考えるほど、実は気楽に生きられなくなってしまう罠にはまることがあります。

なぜなら、「気楽に生きよう」と考えるということは、「いま現在、気楽に生きられていない」ということを裏付けること、つまり「私は、いま気楽ではない」という思考に陥ってしまうからです。

 

アメリカの心理学者ダニエル・ウェグナーが行ったシロクマの実験というものがあるのですが、これは「シロクマのことを覚えておいてください」といわれたグループより、「シロクマのことだけは考えないでください」といわれたグループの方が、よりシロクマを覚えてしまっていた、というものです。
これからわかるのは、「人は意識しないようにしようとすればするほど意識してしまう」という性質を持っていることです。

つまり、「いま現在が気楽ではない」ということを意識すればするほど、気楽に生きることから遠ざかってしまうのです。

 

気楽に生きられない考え方が生まれた私の実体験

ここで少し私の実体験をご紹介します。

私も気楽に生きることができない考え方をもっていました。

その原因は幼少期から親に教えられた「もっと上を目指しなさい」という言葉です。

 

当時、日本はまだ経済成長しているときだったので、「幸せ=上を目指すこと」との考えのもと、いい学校、いい会社に入るよう教育されました。
しかし、その結果、テストで満点をとっても「この程度のテストで満点でも意味がない」といわれたり、学年で1番になっても「この程度の学校で1番になっても意味がない」といった教えが、私の無力感を生むことなりました。

この「もっと上を目指しなさい」という考え方は、さきほど「気楽に生きられない要因」であげた「完璧主義」、「すべき思考」、「目標が高すぎる」の3つが該当しています。

全く気楽に生きることの真反対のひどい教育方針でしたが、実は、いまでは、親が当時の時代は「幸せ=上を目指すこと」だったので、子どもを幸せにさせてあげたい一心でやったこと、つまり自分のためにしてくれたことだと感謝しています。

もちろん結果的に自分にはあわない教育方針だったので、なんてことをしてくれたんだと幼いころは恨みましたが、今では理解し、心のつっかかりもとれました。

 

では、どうやって心を楽にしたか?

そのコツについてみなさんにも共有したいと思います。

 

気楽に生きる心の持ち方について

世の中には辛いこと、大変なこと、生きづらさの原因となることがたくさんあります。

 

そんな辛いことをどのようにして乗り越えればいいか?

 

その方法は、「思考や感情」は「事実ではない」ことを理解することです。
そうすれば、どんなに辛い思いをしても、事実ではないから受け流せるようになります。

ちょっと説明しますね。

 

知ってましたでしょうか?

私たちが普段考えてることやそれによっておこる感情は、実は事実ではありません。

 

自分の「思考」が事実ではない理由

例えば、好意を持ってる人に挨拶したが無視されてショックをうけたとします。
でも実はその人はあれこれと忙しく考え事をしていたために全く気付かなかったのです。
ただ「単に気づかなかった」だけのことを「無視された」と解釈するのは容易です。

さきほどの「すべき思考」で例にあげた「女性は料理をすべき」という考え方も偏見に満ちた考え方です。

常識っていうのは18歳までに身につけた偏見のコレクションのこと

これはアインシュタインの言葉ですが、的確な指摘です。
「常識」は、人の考え方を表した代表的なものですが、その概念は人それぞれです。
つまり、その人の偏見以外の何物でもないということです。

裁判でも、「何が事実か?」わからないからもめています。
事実が不明なことを10人に聞くと10通りの回答が返ってきます。

けど、不思議なのは「自分は正しい!」と思い込んでいることです。

 

自分の「感情」が事実ではない理由

「すっぱい梅干しを想像してください」といわれると、人間は唾液がでてきます。これはすっぱさを感じている証拠です。
けど、実際には梅干しは目の前にありません。
目の前にない、つまり事実ではないことでも平気で信じ込んでしまいます。

だから、「自分は無力だ」とか「なんか気分がのらない」と思うことで、そういった感情になります。

また、誰かにムカついてとてつもなく怒り心頭したとします。
その怒りのテンションを1年間キープしてくださいといわれてキープできるでしょうか?

感情は、天気のように移り変わるものです。
時間がたてば変わり、忘れていくものです。

 

以上から、自分の思考や感情は事実ではなく、偏見や思い込みで満ちていることが理解できたと思います。

 

だから、辛い経験をして、そのときに感じたこと、考えたことは、100%事実ではありません。
そんな事実ではないことが理解できれば真剣に向き合うのがばからしくなってきます。

 

コツは、自分の「感情」や「思考」と距離をおくことです。
距離をおいて「自分はいまこんなことを感じているんだな」と考える。言葉に出してみてもいいです。
目をつむって、深いゆっくりとした呼吸とあわせて、「感情や思考」と距離を置き、「いまに集中する」イメージをもつとさらに効果的です。
ぜひ試してみてください。

 

まとめ

今回は、なぜ人は気楽に生きられないのか?気楽に生きる心の持ち方について解説しました。

 

気楽に生きるためには、まず「思考や感情」は「事実ではない」ことを理解し、それと距離を置くことです。

そうすれば、どんなに辛い思いをしても、事実ではないから受け流せるようになります。

 

世の中に不快な出来事、経験はたくさんあり、なくなることはありません。

だから、それらを間に受けず、受け流すこと。

 

これが、気楽に生きるコツです。

 

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