コラム

「思いやり」と「気の使い過ぎ」の線引きはどこか?

2020年7月13日

column-20200713

 

みなさんは、誰かと一緒にいるとき相手に気を使うタイプですか?

私は結構「気を使う」タイプです。

それは、相手の感情にけっこう敏感なので、一緒にいるときに相手が気分が悪くなると、それが自分にも移るのが嫌というのもあるし、相手にとっても気分が悪いよりいい方がいいからです。

だから、良かれと思って気を使うんです。

けど、そんな良かれと思ってとった行動の結果、逆に状況が悪くなる場合もあります。

例えば、相手が望んでいることを、自分は全然望んでいない場合です。

行きたいところが違う、食べたいものが違うとか。

山に行きたいのに、相手は海に行きたい。

中華が食べたいけど、相手は和食が食べたい。とか。

人数が多いほど、意見の食い違いっておこるとおもいます。

そんなときって、自分の意見を押し通すか、自分の意見を飲み込んで相手の意見を優先するか。

人によって分かれると思います。

 

ここで表題にあった「思いやり」と「気の使い過ぎ」のどちらになるかが分かれ道になると思います。

自分の意見を押し殺していやいや相手の意見を飲み込むのは「気の使い過ぎ」

要は自己犠牲の考え方。

「思いやり」はそんな自己犠牲の感覚はなく、ただ相手の気持ちを尊重する。

こう見たとき、意見が食い違ったとき「思いやり」を持つのがいいと誰もが思いますよね。

お互いに「思いやり」を持てば、もめることなく気分よく着地点をさがせる。

 

けど、ここで出てくる疑問が

結局どちらかに決めるから、自分の意見が通らなかった方は残念に思う。

要は結局、自己犠牲の感覚におちいるんじゃないか。

だから「思いやり」は見せかけで心からそう思うのは難しい。

こんな風に考える人もいると思います。

 

けど、「これは自分の意見通りすることで喜びを感じる」という考え方が前提になっています。

例えば、相手の意見に合わせることで、相手は満足します。その満足した姿をみて自分も満足して、喜びを感じる。

こんな考え方もできます。

こう考えるとどうでしょう?

自分の意見が通らなくても、なんの不満もないどころか、自分も満足することができる。

これが、お互いに満足できる方法。

「思いやり」を持つことだと思う。

-コラム

© 2021 「人生疲れた」ときに読むBlog