みなさんは、誰かと一緒にいるとき相手に気を使うタイプですか?
私は結構「気を使う」タイプです。
それは、相手の感情にけっこう敏感なので、一緒にいるときに相手が気分が悪くなると、それが自分にも移るのが嫌というのもあるし、相手にとっても気分が悪いよりいい方がいいからです。
だから、良かれと思って気を使うんです。
けど、そんな良かれと思ってとった行動の結果、逆に状況が悪くなる場合もあります。
例えば、相手が望んでいることを、自分は全然望んでいない場合です。
行きたいところが違う、食べたいものが違うとか。
山に行きたいのに、相手は海に行きたい。
中華が食べたいけど、相手は和食が食べたい。とか。
人数が多いほど、意見の食い違いっておこるとおもいます。
そんなときって、自分の意見を押し通すか、自分の意見を飲み込んで相手の意見を優先するか。
人によって分かれると思います。
ここで表題にあった「思いやり」と「気の使い過ぎ」のどちらになるかが分かれ道になると思います。
自分の意見を押し殺していやいや相手の意見を飲み込むのは「気の使い過ぎ」
要は自己犠牲の考え方。
「思いやり」はそんな自己犠牲の感覚はなく、ただ相手の気持ちを尊重する。
こう見たとき、意見が食い違ったとき「思いやり」を持つのがいいと誰もが思いますよね。
お互いに「思いやり」を持てば、もめることなく気分よく着地点をさがせる。
けど、ここで出てくる疑問が
結局どちらかに決めるから、自分の意見が通らなかった方は残念に思う。
要は結局、自己犠牲の感覚におちいるんじゃないか。
だから「思いやり」は見せかけで心からそう思うのは難しい。
こんな風に考える人もいると思います。
けど、「これは自分の意見通りすることで喜びを感じる」という考え方が前提になっています。
例えば、相手の意見に合わせることで、相手は満足します。その満足した姿をみて自分も満足して、喜びを感じる。
こんな考え方もできます。
こう考えるとどうでしょう?
自分の意見が通らなくても、なんの不満もないどころか、自分も満足することができる。
これが、お互いに満足できる方法。
「思いやり」を持つことだと思う。