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コラム

電車でおばあさんに席をゆずりましたが。。

2020年7月17日

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最近、電車でお年寄りを見ると席をゆずります。

自己中だった自分が、子どももできて思いやりをもつようになったな~

と自分で感心したりする今日この頃ですが、みなさんは席をゆずりますか?

今回は、「席をゆずった方がいい」という話ではありません。

「席ゆずるのって考えると意外に難しい、そして私はこう思う」という話です。

 

先日、電車に乗っていたら、途中の駅で杖をついたあばあさんが私の1つとなりの人の前に乗ってきました。

そこは5人用座席の角だったので、手でつかまる棒があったので、それにつかまって、反対の手は杖をつく形です。

おばあさんは、白髪で背中もまがりぎみで、あきらかに立ってるのがつらいだろうと推測できます。

だから、席をゆずったのですが、ゆずるまでにスマホをみていて気付かなくてタイムラグがあたんです。

その間、おばあさんが棒につかまっていたのですが、誰もゆずろうとしませんでした。

これって「やないいな~」と思いました。

何も私が人間としてすばらしいでしょ?みたいなことを言いたいんじゃないです。

それはどうでもよくて、気になったのは、「なぜ周りの人はゆずろうとしないのか?」

 

席をゆずる、ゆずらないで議論でよく出てくるのが、妊婦さんのマタニティマーク。

妊婦さんが一番立っててつらいのは、お腹のでていない最初の数か月間、つわりがひどくろくに食べられず、しんどい日々をすごしてるときです。

このつわりのことを知らない人は、お腹が出始めて、体が重たそうでしんどそうだから、席に座らせた方がいいと考えると思いますが、

そうじゃなくて、お腹の出てない最初の数か月がつらいんです。

それは見た目にはわかりません。

だから、それを周りの人にアピールするため、マタニティーマークが必要なんです。

だけど、そういう事実を知らない人は、マタニティーマークが座れる特権のようで嫌っていたりします。

見た目は大丈夫そうなのに、マークをつけるなよ。というような具合に。

ここでのポイントは、見た目にはその人の辛さがわからないことです。

 

そういう意味では、誰だって「今日は座りたい!!」てときありますよね?

見た目はたくましくて若い人でも、とてつもなく辛くて座りたいとき、あると思います。

若い人ならまだなんとか耐えればいいけど、年をとるとそんな我慢もできなくなるくらい辛いときがありそうです。

けど、一方で年配の方に席をゆずろうとしても、「年寄扱いするな」と反応する方もいるのが難しい点。

若い人だって座りたいときもある。もしかしたらケガをしたり体調が悪いかもしれない。

だから、若い人は席をゆずる、という考えも違うし、年配だからといって毎回席をゆずるのも違う気がする。

「情けは人のためならず」

という言葉がありますが、この言葉の意味は「他人にする親切は、めぐりめぐって自分に戻ってくる。つまり自分のためにする」という意味です。

自分が辛くて座りたい場合、席をゆずる親切は年齢に関係なく自己犠牲的なので違うのではないか。

そう考えると、他人に席をゆずることっていいことだけど、無理にまでする必要はないと思う。

 

けど、けどですよ

さっきの話の杖をついたおばあさん。

その点、お年寄りは見た目にあきらかです。

この場合は完全にゆずるケースだと思う。

けど誰もゆずろうとしなかった。

「なぜ周りの人はゆずろうとしないのか?」

その答えは、自分のことしか考えていないから。だと思います。

この傾向を感じる場面は他にもあります。

例えば、SNS。

匿名で投稿できるSNSなんかでの誹謗中傷なんかも、自分のストレスを発散させるために、自分がよければそれでいい的な発想を感じられます。

もちろんそんな人だけではないけど、自分のことしか考えない、この傾向はネット上からリアルな場面でもよく目につきます。

「なんかさみしい世の中やな~」

「なんでもっと他人に親切にできないのか」

そう感じずにはいられません。

他人に親切にすることって、さっきも例に出しましたが「情けは人のためならず」

親切は自分のためにすることです。

席をゆずった結果、私の心はとても満たされました。

「誰も席をゆずろうとしないなか、ゆずるなんてかっこいい、人間的にすばらいい」

こんな心の声が自然に湧いてきます。

これって自己肯定感につながりますよね。

自己肯定感関係の本にも「他人に親切にすること」はテクニックとしてよく紹介されています。

それがまさに「情けは人のためならず」で、自分の心が豊かになるということを得ることは、自分のためになっていることです。

 

ただ、1点補足があって、先ほどの杖のおばあさんのことですが、

電車には優先座席があるので、その座席がある扉から乗るべきでは?

とは思います。

家から電車のホームまで歩いてこれたのなら、ほんの数メートル先の優先座席のある扉にいくことは可能なはずです。

優先座席があるのにそれを利用しない。

それはマナーの問題です。

弱さって一番強い武器なんです。

例えば、あかちゃんが雨の中、道端で裸でないていたら、100%助けますよね。

これがおっさんがそうしてたら、まぁ助けない。

それって赤ちゃんが「弱い」から。

弱さって武器なんです。

おばあさんも自分の弱さを利用して、マナーを無視してる気がする。

優先座席、女性専用車両、こういった形で、利用しやすい形になっているのに、利用しない。

これは自分のことしか考えていない自己中な行為です。

席をゆずらないのも自己中、席をゆずられる方も自己中。

自己中ばっかり。

そうみることもできる。

 

とはいえ、おばあさんはマナーが悪いから、席をゆずる必要ない。ということではない。

席を必要としてる人は優先的に座った方がいい。

もしかしたら、優先座席の扉にいくまでの体力がもう残っていなかったのかもしれない。

海外では車両の真ん中にも優先座席がある国もあります。

たしか韓国はそうだったはずです。

韓国は特に年配者を敬う儒教の国なので、年配者ファーストなのが影響してそうです。

これについても少し言いたいのが(余談ですが)

日本は韓国ほどではないにしても、高齢化社会になって、実際に社会の中心が年配者になっています。

けど、日本の未来は子どもが握ってます。

だからもっと子どもと子育て世代の大人に向けた税金の予算をとって対策してほしい。

年配者ファーストとか〇〇ファーストではなくて、偏りはあるとよくない。

電車の座席の件で、そんなことも感じました。

全然関係ないので、話を元に戻してまとめます。

 

席をゆずる行為って、相手の体調レベルと自分の体調レベルを比べて、自分の方が低いから座る。相手の方が低いから座る。

そんな理屈で考えるのは不可能に近いですが、見た目であきらかに席に座った方がいい人にはゆずる。

それはその人のためではなく自分のため。

少なくとも親切にすることで自分の自己肯定感があがる。

自己肯定感があがる気分がよくなり、やる気、集中力、創造力なんかの脳力もあがります。

ちなみに「他者貢献こそ幸せの秘訣」というのは「嫌われる勇気」でアドラーも語っています。

あと、マタニティーマークの意味を知らない人は知っといてほしい。

それだけです。

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